2016年6月5日日曜日

【考察】ステルスマンとは 「平沢進」≠「ステルスマン」の真意

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■発端
突如謎の人物ステルスマンに殴打され気を失う平沢
→ステルスマンが平沢進が還弦の際にやり残した "Boat" の歌詞を勝手に書き換えて、
原発やメディアを批判するような歌詞原子力を平沢進のホームページ上に勝手に掲載した。

と、いう自作自演ネタ。
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このことについて平沢進自身はステルスマンと自身の同一人物説を否定。
自分はこんなわかりやすい歌詞を書かないと述べている。


この「同一人物説」の否定
平沢進のいつものネタのように思われるかもしれないが、実はある意味では事実なのではないか?


現在では業界屈指のキャリアを持つ「平沢進」
今までもメッセージ性の強い歌詞の楽曲を数多く生み出してきた。
だが、それはどれも抽象的でわかりにくいものが数多く存在する。


対して「ステルスマン」が発表した「原子力」
原発やメディアのあり方についてハッキリと否定する歌詞。
平沢進らしくない。


このようなハッキリとした否定は政治的なメッセージとも取られてしまう。
ステルスメジャーではあるものの、もはやミュージシャンとしての地位を確立した平沢進には発表できない。
平沢進はコメンテーターでもなく、右翼でも左翼でもない、あくまでミュージシャンであり、
このようなわかりやすいメッセージを表に出すことはできない。


ステルスマンが平沢進であったとしても
それは「個人」としての「平沢進」が発表した楽曲であり、
「ミュージシャン」としての「平沢進」が発表した楽曲ではないのであろう。


これが「平沢進」≠「ステルスマン」の真意なのではないだろうか。

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